【公式】鬼門除稲荷 北条時代から続く由緒ある神社

大稲荷神社|神奈川小田原市に位置し北条時代から続いている由緒ある神社

大稲荷神社について

⼩⽥原城北条時代に創建された由緒正しき神社

小田原城北条時代の天正18年に創建された由緒正しき神社で、正一位大稲荷大明神として、「だいなりさん」の愛称で親しまれています。
商売繁盛と方位除けの御祭神である、田中大神と宇迦之御魂大神が祀られています。
現在では、境内神社の錦織神社を必勝祈願として、また芸能上達のご利益に多くの芸能関係者の方も参拝に訪れています。
平成18年には、江戸時代の宝永3年に鬼門除の稲荷として再興してから300年を迎え、三百年祭が執り行われました。

⼩⽥原城北条時代に創建された由緒正しき神社

御祭神

【大稲荷神社】
田中大神(たなかのおおかみ) / 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

境内神社

【愛宕神社】
火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ) / 波无神(はむのかみ)
【錦織神社】
下田隼人(しもだはやと) / 行法尊紀之(ぎょうほうそんのりゆき)
【山神社】
大山祇神(おおやまつみのかみ)

御神徳

商売繁盛・家内安全・産業興隆・芸能上達・安産祈願・初宮詣・七五三・合格祈願・厄祓い・地鎮祭・稲荷諸祭・新車祓い

左甚五郎による⾒事な彫刻の数々

大稲荷神社の境内にある愛宕神社では、数多くの立派な彫刻を見ることができます。花鳥彫刻、獅子頭・波と鯉、巻物を手に馬に乗る人、龍に跨る人などが、本殿のあらゆる箇所にあります。
これらの彫刻は、栃木県日光東照宮の眠り猫で有名な左甚五郎によるもので、歴史的には当社の彫刻のほうが古いとされています。
また道中には、様々な灯籠や、神狐をはじめとする石像なども祀られています。当社の歴史の一端を感じてもらいながら、参拝に来ていただけたらと存じます。

正七⾓形の絵⾺

当社の正七角形の絵馬は、全国的にもなかなか珍しい形のものです。
この絵馬からは、小田原の工芸技術の高さも窺えます。
当社は、商売繁盛と方位除けの神が祀られていることもあり、そうしたお願いごとをされる方々が参拝に訪れ、絵馬に願いを託しています。
また、当社には奉納された絵馬が文化財として残されてもいます。古くは、享保2年に当時の小田原藩主大久保忠英によって奉納されたもの、天保10年の商家店先図絵馬、文久元年の的絵馬、元治元年の武人図絵馬などがございます。

⼩⽥正七⾓形の絵⾺

藩主奉納の絵⾺

享保2年5月と同8年9月の小田原藩主(大久保忠英、後の忠方公)奉納の優品で現存する市内社寺の絵馬の内2番目3番目に古いと言われている。

商家店先図絵⾺

天保10年8月須藤町の氏子中により、遷宮を記念して奉納された絵馬。
同町は甲州道に面した脇町の一つで江島、吉田など大きな商家が多くあった。

的絵⾺

文久元年に小田原藩採用の砲術流派の一つ高島流の師範松國弥八郎(江川担庵門下)の門人達によって奉納されたもの。

武⼈図絵⾺

元治元年8月6日に大工町の旧家笹井興左衛門・同興助によって奉納された。晋の臣、予譲が主君の仇を討とうして、仇の服を斬る事で、復讐の念を晴らした中国の故事。

復腹額、⽔⽥武次郎良温算額

算額とは和算の勉強をしている人が、その学問達成を祈願し、又その上達に感謝の気持ちを表現し、神社仏閣に奉納した物である。
嘉永4年辛亥7月奉納、現存する算額は全国に千以上あるといわれるが、県内で発見された六面のうち最も優品とされている。
七角形の絵馬を授与しております。

当社の御朱印について

大稲荷神社の境内にある錦織神社の名物となっているのが、金色の御朱印です。
こちらも正七角形の絵馬同様、全国的にも珍しく、最近は参拝の記念として御朱印をお求めになる方が非常に多く参拝に見られます。
元々は朱色だったのですが、錦織神社と同じ苗字を持つ、テニスのプロ選手である錦織圭さんの活躍を讃えて、金色の御朱印を取り入れました。
いまだ記憶に新しい、2014年の全米オープンで錦織選手が準優勝したことが、御朱印を金色にしたきっかけになっています。
また他の社にも御朱印がございますので、ぜひ御朱印を集めてみてはいかがでしょうか。